1981-07-28 第94回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号
私は、その後引き続き、ヨーロッパに渡り、七月六日、まずベルギーにおいてルンスNATO事務総長を、次いで同日西独のアペル国防大臣の招待により同大臣を訪問し、ひざを交えて意見交換を行ってまいりました。
私は、その後引き続き、ヨーロッパに渡り、七月六日、まずベルギーにおいてルンスNATO事務総長を、次いで同日西独のアペル国防大臣の招待により同大臣を訪問し、ひざを交えて意見交換を行ってまいりました。
私は、その後引き続き、ヨーロッパに渡り、七月六日、まずベルギーにおいてルンスNATO事務総長を、次いで同日西独のアペル国防大臣の招待により同大臣を訪問し、ひざを交えて意見交換を行ってまいりました。
会談の内容については、ヨーロッパで、ルンスNATO事務総長、ヘイグ欧州連合軍最高司令官、アペル西独国防大臣等の要人とお目にかかり、先方からはこもごも最近におけるソ連の著しい……(「そんなものを読んだら日本の防衛庁長官らしくないじゃないか」と呼ぶ者あり)まあ読ませてください、これだけは。報告のようなつもりで書いてきたわけですから。
さてヨーロッパでは、ベルギー、西独においてルンスNATO事務総長、ヘイグ欧州連合軍最高司令官、アペル西独国防大臣等の要人とひざを交えて意見交換を行いました。先方からはこもごもに、ソ連の軍事力増強を憂慮していること、通常兵器の面での西側の劣勢をカバーするため、NATOの長期防衛計画の決定が行われた旨の説明がありました。